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この地に生まれた子供たち、 この地で逝った親祖父母 生きた時代は違っても ずっとそこに座り見つめてた 100歳の老人と10歳の子供が共有するものがあるとしたら この久志小学校校園松下 校庭での思い出だろう 運動会や地区陸上 災害時の非難 何時の時代もこの校園松のもとで行われてきた 茶色に枯れ始めた葉先が日々広がっていく 川が涸れ 海が涸れ 今 山が枯れようとしている 幾世代をも見続けた命は今 終わろうとしている 来年の久志幼稚園入園児から記憶ではなく記録になる 校園松が消えるとき それは共有する時代の消滅を意味し 校園はただの丘になり守られてきた存在の価値を失う 神のごとく奉られた木が枯れる時 ひとは冷静なふりをする 朽ちたのは自分のせいではなく、誰のせいでもない 絶対枯らしてはいけない命の終りは 一つの時代の終り 次の時代は、、、。 |