校園松の枯れる時

'05.09.10

この地に生まれた子供たち、
この地で逝った親祖父母
生きた時代は違っても
ずっとそこに座り見つめてた
100歳の老人と10歳の子供が共有するものがあるとしたら
この久志小学校校園松下 校庭での思い出だろう
運動会や地区陸上 災害時の非難
何時の時代もこの校園松のもとで行われてきた

茶色に枯れ始めた葉先が日々広がっていく
川が涸れ 海が涸れ 今 山が枯れようとしている
幾世代をも見続けた命は今 終わろうとしている
来年の久志幼稚園入園児から記憶ではなく記録になる
校園松が消えるとき それは共有する時代の消滅を意味し
校園はただの丘になり守られてきた存在の価値を失う
神のごとく奉られた木が枯れる時 ひとは冷静なふりをする
朽ちたのは自分のせいではなく、誰のせいでもない

絶対枯らしてはいけない命の終りは
一つの時代の終り
次の時代は、、、。